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一番電車に間に合わない!? それなら歩こう東京駅まで! ― 2025/04/20 05:55
4月19日から20日にかけて、山手線と京浜東北線が大規模な工事のため運休となる。
私が勤務する会社の最寄駅もその対象に含まれていて、ちょうど夜勤明けのタイミングと重なってしまった。
本来なら20日、東京駅から一番電車に乗って帰る予定だったのだが、振替輸送を使っても東京駅に着くのが遅くなり、一番電車には間に合わない。
さて、どうしようかと考えた末に...「歩いてしまおう」と思い立った。
ちょうど今日は少し早く仕事が終わったし、先日も9kmをウォーキングしたばかり。
「6kmちょっとなら、いけるはず」と気楽な気持ちで、会社から東京駅まで歩くことにした。
「6kmちょっとなら、いけるはず」と気楽な気持ちで、会社から東京駅まで歩くことにした。
結果、所要時間はおよそ1時間20分。
朝の静かな街を歩きながら、ちょっとした冒険気分を味わえたし、東京の朝の風景にちょっとした達成感を重ねた。
夫婦でのんびりウォーキングデー ― 2025/04/17 23:55
早めの退院が正解だった理由 ~義母の切実な声を聞いて~ ― 2025/04/11 20:41
本日、三泊四日で我が家にて療養していた義母を、無事に自宅まで送り届けることができました。
滞在中は、病院で栄養指導を受けた妻が、義母の体調に合わせた消化に良い栄養バランスの取れた食事を用意してくれたおかげで、三食しっかりと食事を摂ることができ、体調も安定していたように感じます。
ところで、義母から聞いた話では、入院していた病室やその周辺には認知症の寝たきりの患者が多くいたようで、義母自身がそのような患者と勘違いされてしまうことが度々あったそうです。
夜中に寝ているところを起こされ、前回トイレに行ってから一時間半しか経っていないのに、またトイレに連れていかれたり、布団を剥がされてパジャマのズボンを下ろされ、下の世話をされそうになったり、ベッドから降りようと床に足をつけただけで怒られたりと、なかなか酷い扱いを受けていたそうです。
こうした状況が三週間以上も続いていたのだから、「あそこには二度と戻りたくない。」と言うのも無理はなく、入院中に「早く退院がしたい!」と電話をしてくる義母の切実な思いがひしひしと伝わってきました。
義母が「頭の中がモヤモヤモヤモヤして、もう我慢の限界だった。」と言うのを聞いて、11日まで我慢させずに、妻が早めに我が家に迎え入れる決断をしてくれたのは、本当に良かったと心から思います。
それにしても、私自身もかつて受診したことのある病院ですが、院長をはじめ医師と看護師や受付スタッフに至るまで、病院全体の質の悪さが改めて浮き彫りとなりました。
義母の退院 ~ひ孫たちの笑顔に癒されて~ ― 2025/04/10 03:30
義母の嘔吐・腹痛とその後の経過 ― 2025/04/06 20:20
3月10日、義母が原因不明の嘔吐と腹痛に見舞われました。
その日の20時30分ごろ、義兄から妻のもとに相談と応援を求める連絡が入り、ちょうど私も休暇中だったことから、一緒に義母のもとへ駆けつけました。
その日の20時30分ごろ、義兄から妻のもとに相談と応援を求める連絡が入り、ちょうど私も休暇中だったことから、一緒に義母のもとへ駆けつけました。
到着時、義母は激しい嘔吐のため立ち上がることもできず、かかりつけの病院へ救急搬送されることに。
しかし、夜間ということもあり、当直の医師はあまり熱心ではなく、問診だけで帰宅させようとする対応…。
義兄が「何時間も嘔吐していて脱水しているはずだから、せめて点滴をしてほしい」と頼み、ようやく点滴を受けて帰宅するという、正直お粗末な対応でした。
義兄が「何時間も嘔吐していて脱水しているはずだから、せめて点滴をしてほしい」と頼み、ようやく点滴を受けて帰宅するという、正直お粗末な対応でした。
その後も腹痛が治まらず、13日に再び病院を受診。
CT検査の結果、大腸が通常の倍以上に腫れていることが判明し、絶食のうえ腫れが引くのを待つという治療方針で、そのまま入院となりました。
CT検査の結果、大腸が通常の倍以上に腫れていることが判明し、絶食のうえ腫れが引くのを待つという治療方針で、そのまま入院となりました。
そして、診断名は『腸間膜静脈硬化症』。
この病状は、漢方薬を5年以上飲み続けている患者に多く見られると説明されました。
この病状は、漢方薬を5年以上飲み続けている患者に多く見られると説明されました。
入院中、担当医師の説明で「貧血が酷く、心臓の負担を減らすため輸血をお勧めします」とあり、妻が兄妹と母本人と相談のうえ、『赤血球製剤の輸血』に同意した経緯もありました。
医師の話では、「腫れている大腸に癌がある可能性も否定できない」とのことでしたが、高齢の義母にとって精密検査は体への負担が大きいため、大腸内視鏡などは行わずに退院することに。
「退院」といっても、食事が少量取れるようになり、点滴も終了し、これ以上の治療ができないという理由で、病院側から“事実上の退院勧告”が出された形です。
義母自身も長く居づらく感じていたようで、「早く退院したい」と話しており、一方で義母を迎える実家側の都合がつくのは3月11日以降とのこと。
それを受けて、いくつかの受け入れ方法を兄妹で話し合い、三つの選択肢を用意しました。
そして、5日の面会時に義母本人も交えて最終決定をする予定でした。
その前日、栄養指導の予定があり、代表で妻が体調が優れない中、一人で出向くことに。
その後、予定には無かったことだが、看護師から“退院日程”についての話があり、急かされるような雰囲気の中、相談の時間もなく一人で決断を迫られた妻は、「一日も早く退院させてあげたい」という気持ちから、あらかじめ話し合っていた選択肢の中から「ひとまず我が家でお世話する」案を選択しました。
その後、予定には無かったことだが、看護師から“退院日程”についての話があり、急かされるような雰囲気の中、相談の時間もなく一人で決断を迫られた妻は、「一日も早く退院させてあげたい」という気持ちから、あらかじめ話し合っていた選択肢の中から「ひとまず我が家でお世話する」案を選択しました。
ということで、義母が三泊四日、我が家で安心して療養できるよう、明日から部屋の準備や食事の段取りに取りかかることになりました。
少しでも穏やかに、快適に過ごしてもらえるように、できる限りのことをしていきたいと思います。
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